銀杏の徒銷な備忘録

御勧め、趣味、考察などをだらだら書いてます。何かの役に立ちますように。。

著作者の思想や人格なんかについて思うこと。

ども、銀杏です。

 

鍋が恋しくなって来ましたね。

 

この季節になると鍋キューブが店頭に並び始めますよね。

 

あれほんと革新的というかなんというか。重宝しますよね~

 

さて、今回は創作物とその作者との間にある関係についてだらだらと語っていきたいと思います。

 

創作物と作者との関係って何だろう?

 

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色々あると思いますが、わっしは今回思想人格、または犯罪との関連について話していきたいと思います。

 

俳優や芸人なんかが犯罪を犯したりすると、出演を自粛したりしますよね?

 

最近でも、俳優なら新井さん、ピエール瀧さん。芸人なら雨上がりの宮迫さん、ロンブーの亮さんなどが犯罪や犯罪組織との関わりに依って表舞台から姿を消しました

 

彼らは顔で売っているため、世間から犯罪者の顔を見たくないなどという声があるのでしょう。

 

たった一回の過ちが、二度と再起できない引き金になったりします。

 

では、漫画家、映画監督、作家など、顔を出さずにいる人たちはどうか?

 

漫画家である島袋さんは、世紀末リーダー伝たけし連載中に、犯罪を犯してしまいました。デスノートの原作者である小畑さんは銃刀法違反で捕まってしまっています。

 

そんな彼らも活動は自粛しています。(過去の話なので、現在は復帰しています)

 

思想なんかで言うと、スタジオジブリ宮崎駿さんは左翼思想であるとか、百田直樹さんは右翼思想であるとか、幅広く色々いらっしゃいますよね。

 

政治的なことなんかに無関心であったり、そういった発言については必ず賛否あるので、まったく口に出さない人もいますね。

 

まず犯罪行為を犯した人間に対しての風当たりについて。

 

大抵は成人済なので、刑務所に入ったり、執行猶予という形で罪を償うのですが、割とこの国では持ち上げる時と叩き落す時が極端なところが無きにしも非ずなので、形式的に罪を償っても、私刑ともいえるバッシングの嵐が吹き荒れます。

 

そして、これに関して一番恒久的なダメージを受けるのが、創作物なのではないかとわっしは思うのです。

 

作者ではなく、作品です。

 

それは、犯罪者が創作したものだと、作品に関してマイナスイメージ付けられるからです。

 

更に言えば、犯罪者が好きだったもの、例えばアニメやゲームなんかが関連付けられることもありますよね。

 

これをする人間は犯罪を犯しやすいとか、犯罪者が創作したものは犯罪を誘発させるとか、そんな根拠のない報道をされたりします。

 

これによって、何も知らないひとはその作品名を耳にして頭によぎるのが犯罪者が創作したものだとか、その作品は悪い影響があるとか言う認識になってしまうと思うのです。

 

思想に関しては、はやりその思想に反する人間たちから関係のない批判を受けることであると思います。

 

これらのような、創作物への評価に、作者の評価も入ってしまうのが、わっしはすごく謎なんです。

 

作品は作品として独立して評価すべきで、創作者は創作者として評価すべきだと思います。

 

過去にあれをやった人間だとか、なんだとか。

 

いろいろね。。。

 

こんなことを言っているのって、ごく一部の人間なんですけど、結構な人数がまた聞きして叩いたり、同調したりしてしまうのが、それが世論として揶揄される原因なんでしょうね。

 

SNSの炎上に加担しているのはユーザーの数%だという話は、結構実世界においても変わらないのかなと思ったりして。。。

 

SNSにいるのは、最初こそ新しいもの好きなひとであったり、企業広告が多かったかもしれませんが、今は様々な人間が入り混じっています。

 

なので、規模の大きさが違うだけで、原因に対して起こる現象は変わらないのかもしれないですね。

 

炎上を起こす熱心な人と、無関心だけどむしゃくしゃしたりしていて何か叩きたい人。

 

同調と沈黙が一番の罪だよなぁ、と思いますね。。。

 

それぞれが理由や思想を持って批判するんじゃなくて、うわべの情報に捕らわれて叩いているだけっていう。

 

漫画とか、音楽とか、ひっくるめて作品なんかを読んだり聞いたりしたわけじゃないのに憶測でモノ言ってるのって凄く悲しい。

 

読めば、聞けば、見ればそんなの関係ないのにな~って思います。

 

思想がなく、犯罪を犯していない人間が作った作品なんかは絶対に犯罪を誘発させないのか?とかは極端すぎるけれど、何か発言する前に論理的な思考をするべきだと思う。

 

論理的に考えるといっても、なんでそう思うのかって自問自答するだけでも十分だと思いますけど、そういう、自分というフィルターで情報を濾してあげるのはすごく重要だで、その過程を経ると、やっぱり意見ってなかなか一元化しない。

 

似通った意見や同じようなベクトルの意見はあっても、完全一致ってほぼあり得ないですよね。

 

どちらか、あるいは両者が迎合することによってまるで同じ意見を言ったように思っているだけで。

 

「自分を持つ」というのが、わっしの人生の中で重要視している一つのテーマです。

 

自分というのは唯一無二の存在なんだから、人と違うのは当然だ。

 

そう考えたら、人と意見が食い違っても、「そりゃ人間が二人いれば意見も違えるわな。。」と楽観的に考える事ができます。

 

わっしは人の意見や思いをなるべく否定しないようにしています。(なるべくね。。。)

 

正解なんてないし、正義なんてのは主観でしかないからです。

 

でも、場によっては自分の意見を押したり、他人の意見を押しのけなければいけない場面も出てきますし、否定をしないとかはかなり至難の業ですね。。。

 

皆がわかり合えるとかではなく、他人や違う意見を容認できる世界になればいいですね。

 

・・・と、まぁただの愚痴というかそんな感じでした。

 

ではまた次回。

 

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